10月30日
稲沢市原様大倉公園内ガイド
本日(10月25日)のお客様は、
稲沢市の原御一行様2名です。
コースはお客様要望で、大倉公園内の茅葺き門、休憩棟、
防空壕、ひょうたん池を1時間20分掛けてゆったりと
散策していただきました。
今回はお客様の写真撮影はなしです。
はじめに、茅葺き門まえで、
この大倉公園は、面積1.7haあります。
この公園は、大正8年に日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテド)
の初代社長・大倉和親の別荘として築造されたものです。
尚、昭和2年には賀陽宮恒憲王殿下(かやのみやつねのりおうでんか)
がこの大倉別荘に滞在していて名古屋へ通われていました。
何故、この地に別荘を築造したかと言いますと、明治の末期、
大倉和親の父孫兵衛が、陶管製造工場用地として大府の立地に着目し、
明治44年御料林(ガンジ山)の払下げを受けた、
しかし、それを受け継いだ和親は陶管工場の建設をしなく、
かわって桃農園をつくり地域の住民の目を楽しませました。
そして桃の花に囲まれ、自然森林ゆたかな、風光明媚なこの地に、
大倉和親は憩を求めて別荘を建てました。
その後、昭和19年別荘は㈱名機制作所創業者加治慶之助の,
所有となったと説明しました。
つぎに茅葺き門ついては、
茅葺門(旧大倉和親別荘表門)(国の登録有形文化財)
この茅葺門は旧大倉和親別荘の表門として大正10年)
建てられたものです。
昭和54年移築され大倉公園の入口の門となっています。
別荘当時は門の両側に使用人などが居住していた,
とされる6坪程の付属屋もあり、
別荘全体が贅を尽くした立派なものであったことをしのばせます。
建造物は高さ5m(2.5間)、幅13m(6.5間)、奥行き4m(2間)。
内開き戸の門で、向かって右側には潜戸があります。
と説明しました。
次にに休憩棟に移動しました。
休憩棟(旧大倉和親別荘離れ)(国の登録有形文化財)
この休憩棟は旧大倉和親別荘の客人をもてなす離れとして使われた建物で、
大正期に小高い丘の上に建てられた入母屋造、平屋建の家屋です。
平面はL字形で、部屋の配置が雁行形になっているのが特徴です。
庭を囲むようL字型に配置された部屋は、広縁でつながれており、
欄間など随所に数寄屋風意匠が見られます。現在は、
お茶会や盆梅展の会場として、多くの方に利用されています。
休憩棟には、太平洋戦争中に造られたとされる,
鉄筋コンクリート造の防空壕があります。
その広さは902㎡ 、高さ2.45m、東西4.1m、南北2.2mです。
と説明しました。
次にひょうたん池に移動しました。
大倉公園の北東のところにひょうたん池があります。このひょうたん池は、
大倉別荘が造成されたとき作られた池を、昭和54年、
市が公園として整備した際、改修したものです。現存していませんが、
現在は、大府市と都市間交流を行っている,
岩手県遠野市から友好の証として贈られた、
親子のカッパ像と父親のカッパ像が配置され、
大府市の新たなシンボルとなっています。
これで予定どうり、1時間20分で案内できました。
原御一行様、訪問有難うございました。
またのご縁を期待しています。
よろしくお願いします。