10月23日
大人の学び舎 明神樋門・明神川逆水樋門のガイド
本日(10/23)のお客様は、大人の学び舎 5名と職員1名の6名の皆様です。
コースは神田フリーBコースで横根公民館~惣作遺跡~明神樋門~明神川逆水樋門~藤井神社~横根公民館です。
午前10時に横根公民館に集合してから惣作遺跡に移動しました。
本遺跡は、標高2mの沖積地にある。ここはかつて海の入り江がまじかにせまった場所といわれているところである。
遺跡発見は昭和32年で、発掘調査は昭和45年、昭和46年、昭和50年と3回目の調査が行われました。3回の調査で遺跡の範囲は東西約25m、南北約40mと推定されている。
調査は全面発掘ではなく、トレンチ設定による部分調査である。トレンチの最下層は砂層で、遺跡が砂の堆積層に立地していることを示している。発見された明確な遺構はないが、「かまど」と思われる遺構が確認されている。
出土品はコンテナにして4箱分で、弥生土器・土師器・須恵器・灰釉陶器・中世陶器などがあるが、最も多量なものは製塩土器(身の部分が薄く、底に角のように先がとがった足1本付いている型)である。この土器の存在からここで塩が生産されていたことがわかると説明しました。
次に明神樋門に移動しました。
江戸時代の樋門はすべて木製だったので、災害等により度々破損し、川の管理維持は大変なものであった。
明治 34 年の大工事は、服部長七が考案した人造石工法により改修工事が行われた。「 長七たたき 」 と呼ばれ、日本の治水工事に大きな貢献をなした。
「 長七たたき 」 とは消石灰と真砂 ( サバ土 ) とを混ぜて、水で練ってたたき固めたもので、水中での凝固を可能にし、コンクリート工法が普及するまで広く使用された。明神樋門は、驚くべきことに竣工から 119 年以上経過した現在も堅牢な姿を留めている。樋門の上部は明神川が流れ、天端幅約 10 m、長さ 15 m、高さ 6.4 mである。
明神川逆水樋門について
明神川が境川に流れ込むところの境川堤防下に造られた樋門。境川からの逆流を防ぐことも兼ねていた。長さ約7m、幅約4mのアーチ形状の樋門。人造石工法によって造られ、築造後105年(1916年頃築造)を超した現在も用いられているtと説明しました。
次に藤井神社に移動しました。
祭神は天照皇大神・須佐之男命・大山祇命の三柱を祀り、相殿の神(後記)として二一柱が鎮座する。創建の年代は明確でないが、「社伝」によれば、建久二年(1191)源頼朝の勧請といわれる。建久元年十月三日に、頼朝は鎌倉を出発し、鳴海を経、同月二五日野間で亡父義朝の菩提を弔い、翌二年鎌倉への帰途にこの地へ藤井大明神を榎勧請したと伝える。
また一説には、七世紀後半に創建されたもので、頼朝がこれを再建しとも伝えられている。神社の南200メートルの地点には、惣作遺跡があり七世紀後半には、海浜の小村が形成されていたのかもしれないと説明しました。
これで横根公民館に戻りました。
これで本日のガイドは、予定どうり1時間30分で終了できました。
大人の学び舎 「ふるさとガイドと歴史を巡る まるっと大府再発見!」御一行様、ご訪問有難う御座いました、またの御縁を期待しています。